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war 強い言葉

いろんな人に怒られるかもしれませんが、あった派なかった派、どちらにつけてもこういう記事を目にする度に、2点思うことがあります。

quasimoto.exblog.jp

 

ひとつめは、「この人らは、特に太平洋戦争以前の戦時下の記録に対するリテラシーがないのかな?」ということです。他国にデマを流し、国民に対してもデマを流すのが戦争であり、そのことを表す言葉(プロパガンダ)も用意されているほどそれは歴然とした事実であります。信頼に足る情報なんてほとんどないと考えた方が良いと考えるのが、戦時下報道や記録に対する一般的なリテラシーであると考えます。

 

ふたつめは、「洗われちゃったのかな?」ということです。この手の記事には「本当の、完全の、真実の、唯一の、完璧に、誰一人、何百万の」などの最大級表現(強い言葉)が多用されます。これと同じグラマーを使う「別の集団」を私は知っていますが、おそらくこういう文章を書く本人は知らずにやっているのでしょう。
その「別の集団」とは、新興宗教で完全に洗脳された方々です。または、その教祖や教典の文法とも酷似しています。さらには、テロリストや内ゲバしてた頃の連合赤軍なんかも同じグラマーやレトリックを使います。
最大級表現の多用は、これを書いている人間の思考停止を現しています(これについてはいつか自分のなかでまとまったらまたここに書きます)。複雑なことを論理的に考えられずそれを咀嚼しアウトプットができないから、ただのコピペや情報(のようなもの)を羅列し極端な最大級表現で装飾するしかできないのです。さらに、ひとつめのところで書いた戦時下の情報に関するリテラシーそのものがおそらく欠如しているがため、おそらく本気で心のなかも最大級に書いてる内容を信じている可能性が高い。

オウム信者や、明らかに言ってる内容がおかしい新興宗教などにハマるひとの動機は、ほぼほぼ承認欲求です。自分の頭で考え自分の意見を自分の言葉で伝えられないから、実生活でも大して周りからの承認を得られず、社会や会社や学校から求められないので、こんなつまらない情報収集にさく時間もあり、自分で考え咀嚼できる能力がないからコピペのような文章に最大級表現をつけるくらいしかできないのです。

こないだ潜入した某なぞ集団(大宣言の日を待つ人々w)のミーティングで繰り広げられたやりとりを思い出しました。笑ってはいけないよりもおもろい、まったく噛み合わない不条理な会話が繰り広げられていましたが、本人たちは至って真剣な様子だったのが印象的でした。

 

なんというか、なぜ日本人はこんなに考える力を失いつつあるのでしょうか。これでは、議論もできないし、議論できないからこういう人はさらに先鋭化するしかない。そして、同じ考え方の人間と閉じたネットや実際のコミュニティに埋没し、またさらに先鋭化。

 

NHK視点・論点宗教学者島田裕巳が「バブル期に信者を多く獲得でき教団がある程度の資金を集めることが出来たから、オウムはサリンの生成にまで至った。教団が興り力を伸ばしていったタイミングがたまたまバブル期であったということは、地下鉄サリン事件が起こった原因のひとつとして挙げられる」というような主旨のことを話していたことを思い出し、今が不況で良かったな、と思いました。

 

ちなみに、 あった派なかった派、私はどちらでもないです。どちらの根拠も捏造できるし、言葉に語弊はありますが、お互い自己言及のパラドックス的なことにしかならないのも目に見えているので、だったらいま「あった」ということになっているならそれベースで未来のことを考えませんか、というスタンスです。

仮になかった証拠があって、それを外交カードとして相手に突きつけたところで、何になりますか?という話。おそらく、何にもならずまた自己言及のパラドックスを繰り返すだけで、この問題はすでに「なかった」と言うだけで解決するような外交問題ではないと思います。なかったことやあったこと、そのどちらもを狂信的に証明したがっている人たちは、こういった外交の複雑性やことば(論理)の構造も、もう少し学んだ方が良いのではないかと思います。