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人は死なない

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p.53

ウィリアム・ステイントン・モーゼスの『霊訓』には、「我々は1つの信仰を唯一絶対と決め込み、他のすべてを否定せんとする態度にも、一顧の価値も認めません。心理を一教派の専有物とする態度にも賛同しかねます。いかなる宗教にも心理の芽が包含されているものであり、同時に誤った夾雑物も蓄積しています」とあります。

p.140

母の死を受け入れたとき、私は、これでもう心配しなければならない人はいなくなったという思いが湧き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました。そして、あとは死を迎えるそのときまで、心を無にして生きていこうと思いました。

p.153

アメリカの実験心理学の父と呼ばれるウィリアム・ジェームスは心霊現象について、それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれども、先験的に疑いを持つ人にまで信じさせる証拠はないという限界を持っている、と指摘しています。

 

以前この本の作者がマル激トーク・オン・ディマンドに出ていて

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その中で、宮台がユングクリプキヴィトゲンシュタインの話をしていたのが面白かったので読んでみた。動画のなかで面白かったところを要約すると、

「神秘現象」の存在と、「神秘現象の体験」の存在は違う。「神秘現象の体験」の存在は、「神秘現象」の存在を意味しない。しかし、現象と体験を分けることはあくまでコミュニケーション上の便宜的なもので、現象とは間主観的な体験の理念化とも言える。結局現象と体験を截然と区別はできない、ということは現代哲学の最前線では常識だ、

みたいな話。本は、ミンスキーの「内在性の錯覚」の話なんかも思い出しながら読んだ。

 

認識や科学の限界。自然科学はHowに答えるものであり、Whyに答えるものではない、というようなことを誰か言っていたが、要するにそういうことであり。アインシュタインユダヤの神を信奉し、ニュートン錬金術を愛した。「人は死なない」の中にはこの人たちは出て来ないし、あまり期待していた内容ではなかったが、やはり現状の自然科学「信仰」の限界については述べられている。まあ、スピ系の常套手段。同様に、作者がいくら東大の偉い先生でも、「信仰」の分野に対する精神力の強さを持ち合わせているわけではないことは、オウム真理教などの信者に高学歴の人間が多くいたことで証明されている。要するに、この本の内容を真に受ける必要もないということであり、そもそもほとんど既にどこかで観たことのあることしか書かれていなかった。流行った理由は、この内容を東大の救命救急とかやってた大先生が言っている、という一点であったのだろう。内容はコレ系の本によくある使い古されたものでしかない。